突然ですが、浦島太郎が実在することをご存知でしょうか?
今日もウォーキングしながら、あ、コレ、ブログにどうだろうと思いついちゃいました。
まずは、浦島太郎の真実(?)を発見した当時(8年位前)のエッセイを。
最後に証拠写真をのっけときます。
「むかし、むかし、浦島は・・・・・・」
きっかけはダイエットでした。
ラクして痩せようということでウォーキング。家を中心に、だいたい片道徒歩30分圏内を、往復で約1時間。コースは自由。気が向いたときに、気が向いた方向へ歩こうと決めたわけです。
昨年のある日、自宅(横浜市神奈川区)から東南の方向に早足で歩いていたときのこと。何気なく、道路脇の家の住居表示を見ると、『横浜市神奈川区浦島町・・・・・・』とありました。
「浦島町か。浦島って言えば、浦島太郎だよねぇ」とひとりでつぶやきながら、さらに数十メートルきままに歩くと、出現したのは『横浜市神奈川区亀住町・・・・・・』という表示。
「えっ? もしかして、ここって・・・・・・?」
そういえば、このあたりは埋立地だったはず。ということは、昔、海だったわけだ。浦島太郎がいてもおかしくはない・・・・・・よね。ならば、竜宮城はこの沖にあるのか? 私の推理はぐるぐると回るのでありました。
それからほぼ1年。今年3月頃、神奈川区の広報誌に浦島伝説が特集されました。これによると、我が神奈川区には浦島伝説に由来する様々な遺跡や物が残されているのだとか。大まかな地図も掲載されていました。ありがたいことに、この特集を見て、全く途絶えていた私の『痩せよう!歩こう!』病がまた刺激されたのであります。目的を持って歩いた方が退屈しないわよね、などと。ものぐさな人が動き始めるためには、いろんな理由が必要です。
天気が良く、暖かい日を選んで、浦島伝説をめぐるウォーキングはスタートしました。ズボンのポケットに、例の広報誌をしっかりと突っ込んで。
まず目指すは、蓮法寺。ここには、浦島太夫・浦島太郎親子の供養塔がありました。ふーん、太郎のお父さんは太夫さんって言うんだ。供養塔の台座は亀がかたどられているんですね。なんだか、面白くなってきましたよ。お寺で、ペンキを塗っていたオジさんが私を供養塔の近くまで入れてくれました。
「浦島太郎は、昔、中国に儒教を勉強しに行ったんだよ。帰るとき、絶対に中国から持ち出してはいけないという、経典かなんかを持ってきちゃったんだね。だからまずいってんで、浜辺で焼いたらしいよ。」
「ああ、それが玉手箱の煙ですか?」
「そういう説もあるってことだけどね。」とオジさん。
ってことは、浦島太郎って実在の人? これは、私にとっては、最大の発見ですよ。そして竜宮城は中国だった・・・・・・?
蓮法寺の次は慶運寺。浦島の謎に気ははやります。ここはうらしま寺とも呼ばれており、浦島親子の記念碑があるほか、太郎が竜宮城から持ち帰った観音像が収められているのだとか。浦島太郎って、玉手箱のほかに観音像も持ち帰っていたのね。知らなかった。竜宮城は中国にまた一歩近づきました。
この後は、浦島太郎がそこに座って涙を流したという涙石。亀住町にある浦島地蔵。太郎が足を洗ったといわれる足洗川と足洗井戸を回って、約3時間。私の浦島伝説めぐりは終了しました。
インターネットで調べたところによると、浦島伝説は、京都、広島、沖縄など全国15箇所に残されているとか。浦島伝説を持つ自治体が集まっての浦島サミットも開かれているといいます。まだまだ謎は多いようですよ。
最後に重要な発見をもうひとつ。気が向いたときだけのウォーキングでは、発見はあっても、痩せることは決してないということです。
長い文章で失礼しました。
下が、うらしま寺の浦島親子の碑の写真です。

太郎は本当は「太良」なのですねぇ。
慶運寺の手水鉢は亀が象られています。

下は寺の入り口の石碑。
龍宮伝来って書いてあります。土台になっているのはやはり「亀」

